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城陽市観光だより

 ふるさとの遺跡に古代のロマンを求めて


「遺跡の宝庫」と呼ばれる城陽には、全国的に有名な芝ケ原12号墳をはじめ、市内のあちこちに古墳が点在しています。
南北に流れる木津川は、大和からこの地を経て、遠くの世界とを結び付ける役割を果たしていました。
城陽に古墳が多いのは、大和の権力と深 いつながりを持った有力な支配者がいたためです。
芝ケ原古墳や車塚古墳などの紹介をとおして、古代のロマンに満ちたふるさとの歴史をひも解いてみましょう。
イメージ図


古代人の暮らしと古墳の誕生

城陽の地で人々が暮らしはじめたのは、およそ4000年前にさかのぼります。時代にすれば、縄文時代の後期です。
長池にある国指定史跡の「森山遺跡」は、南山城地方では最も古い集落遺跡で、なだらかな丘陵に竪穴式住居が6戸U字型に並んで集落を作り、近辺からは土器や石器、石斧や矢じりなどが多数発見されています。
おそらく、この時代の人々は狩猟や木の実の採取をして、グループ単位で生活していたのでしょう。
また、森山遺跡からは弥生式の竪穴式住居も見つかっています。
弥生時代は、人々が定住して農耕が行われるようになり、特に米づくりによって生産力が飛躍的に増加し、集落は大きくなりました。
この頃になると身分制度が確立して、支配者と被支配者の関係が生まれてきました。
支配者は、死んでもなお自分の力を誇示するために大きな墓を作りました。それが「古墳」です。
森山遺跡
イメージ図 城陽は、遺跡の宝庫と呼ばれ、これまでに約150基の古墳が確認されています。
その大部分は城陽市内と宇治市の一部にまたがる東部丘陵地に分布し、これらの古墳を総称して「久津川古墳群」と呼んでいます。
「芝ケ原古墳群」もその一つで、久世芝ケ原から寺田大谷にかけて13基の古墳が点在しています。
昭和61年に発掘され、日本最古級の古墳として全国的に注目された「芝ケ原12号墳」もその一つです。


芝ケ原12号墳とは
芝ヶ原12号墳
芝ケ原12号墳は、南北約22b、東西約18bの方形を持つ前方後方墳で、方形部に南向きの突出部が設けられています。
この突出部が実はたいへん重要な意味を持っていて、弥生時代から古墳時代への移行を示しています。
墳丘はすべて盛土で築かれていて、高さは約4bあります。
主体部である埋葬施設は、 墳丘のほぼ中央部に南北4b、東西2b、深さ1bの棺を納めるための穴が掘られていました。
この底に木棺が納められていたのですが、長い年月の間に腐食し、木棺そのものは残っていません。
わずかにその一部の痕跡を確認したに過ぎませんが、そこから想像すると板を組み合わせた木棺と考えられます。
大きさは、長さ2.3b幅70aで、棺の内側は朱塗りであったことがわかっています。この棺内から、副葬品のすべてが見つかりました。
日本初の遺物である「車輪石形銅製品」(腕輪)をはじめ、ガラス小玉、管玉、勾玉など数多くの玉類、鉄製の工具類が出土しています。
古代史の謎を解く貴重な出土物 青銅製品3点の内、鏡は日本で造られたもので、裏側の文様から四獣形鏡と呼ばれるものです。
車輪石形銅製品と名付けられた腕輪(2点)は、弥生時代につくられた二枚貝の腕輪を模したもので、その形態はわが国で初めて出土したものです。
玉類は3種類出土しています。ガラス小玉は濃いブルーで、約1300点が出土。8点出土した勾玉は硬玉製(ヒスイ)で、当時の日本人が憧れた濃い緑色をしています。
187点が出土した管玉は、碧玉製で細く、この形は弥生時代の管玉の特徴であるといわれ、色は淡い緑色です。
工具類としてはヤリガンナ、キリが出土しています。ヤリガンナは、板の凹凸を削ってなめらかにするもので、今でいうカンナの一種です。
土器は庄内式土器(弥生時代末〜古墳時代)で、表面はていねいに磨かれ、櫛描き文様で飾られています。
総数で225の破片が出土し、復元すると壷形3点、高杯1点になりました。
このように、芝ケ原12号古墳は@墳丘に突出部をもっていること。A車輪石形銅製品という日本初の出土物はもちろん、その出土状態や出土品の組み合わせがこれまで例のないものであったこと。などの理由から、「古墳発生の時期」や「古代国家の誕生」という謎を解く鍵として、全国的な注目を集めたわけです。 腕輪、鏡玉


車塚古墳とその後

また、南山城地方最大の前方後円墳である「車塚古墳」(国指定史跡)は、全長約180bもあり、日本で最大級の石棺が発見されました。
日本書紀によると山城地方には栗隈氏という県主の名が出てきますが、車塚のように規模の大きい古墳はこの地方に類を見ないので、たぶんその一族の墓ではないかと考えられます。
副葬品である鏡や鎧、玉など、当時の高級な装飾品や戦いの道具を見ていると、大和政権と手を結び山城地方に力を誇ったであろう豪族のスケールの大きさが想像できます。
それ以降も、家型埴輪が出土したことで知られる「丸塚古墳」(国指定史跡)をはじめ、青塚、尼塚、上大谷・下大谷古墳群、梅ノ子塚など、数多くの古墳が作られましたが、車塚古墳以降、古墳の規模が小さくなっていることから、強大な権力も長くは続かなかったようです。
やがて、古墳時代が終わり、奈良時代が始まります。
石棺副葬品


ふるさとの歴史と未来への歩み

文化パルク城陽にある「城陽市歴史民俗資料館」では、車塚古墳の石棺を復元したものや芝ケ原古墳の銅製腕輪をはじめ、市内の古墳からの出土品を数多く展示しています。
展示品は4つの円筒埴輪を形どったスペースに並べられていますが、単に文化財を並べるだけでなく、車塚古墳の墳頂部を再現し、「古墳のまつり」の様子を映像やナレーションによって紹介するなど、歴史学習を目と耳で楽しむことができます。
温故知新―この言葉の意味をかみしめ、悠久の時の流れと太古の人々の暮らしを想いえがく、そんなひとときを、未来の扉を開けるために持ってみませんか。
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