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城陽市観光だより

 城陽の「文化財一覧」

宿場町・旅篭資料


城陽のまちには、現在、7本の石の道標が往時中心だった街道の各ポイントに残っています。すり減って読みにくいものもありますが、いずれも京都・奈良方面への街道の目印として、「北 京都街道 長池 廿五丁 南 奈良街道 玉水 廿丁」などと方角・里程が刻まれ、長い間、旅人たちを案内してきました。市を南北に貫く国道24号のすぐ東側を平行して走る現在の市道1号線は、昔は「奈良街道」と呼ばれ、京都と奈良を行き来する人々でいつも活気に溢れていました。特に、長池のあたりは、京都へ五里、奈良へ五里と中間に位置し、「五里五里の里」として宿屋が建ち並び、たいへんにぎわいました。



長池が宿場町として、活気ある体裁を整えだしたのは室町時代からです。それ以前の平安時代には、陸上交通より水運が重視されていて木津川に近い奈島が宿駅(駅は官制の旅館)でした。平安時代の後期から武士が勢力をつけだし、徐々に武家社会へと変化していき、鎌倉時代、室町時代へと移行していきます。そのような中で、陸上交通が中心となっていき、宿場町も奈島から長池へと変わっていきました。応仁の乱からの戦乱の時代には人々の行き来も減りましたが、それを過ぎ桃山時代から江戸時代に入ると、再び宿場が元の活気を取り戻し、商人の往来が盛んになってきました。


その後、江戸、明治、大正を通じて、長池の宿場はにぎわいをみせますが、寺田村、青谷村、富野村では宿場町の発達と平行して農業が盛んになり、米以外にいろいろな野菜づくりが始まりました。これらの農産物を大阪や京都に送るため、木津川の舟運も頻繁になりましたが、ますます街道は人馬の往来が活発になり、たいへん活気づきました。また、江戸時代には、民衆の間に「講」をつくり、伊勢参りや愛宕参りに出かけることが広まりましたが、その常宿としてもにぎわいました。今では当時の面影を残す旅篭はありませんが、それでも長池には、宿場町の何ともいえない趣と息吹が残っています。また、その当時の旅篭を知る手がかりとして、旅篭の一つだった「松屋」の旅篭資料(看板、食器、帳面、文書など)があり、往時の宿場の様子を今に伝えています。



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