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城陽市観光だより

 歴史のまど


景観豊かな木津川堤

城陽は、「南山城地方」と呼ばれる京都以南の地のほぼ中央部に位置しています。この城陽の地に人々が集落を営み、定着したくらしが始まってからおおよそ4000年、その幕開けは縄文時代後期です。温暖な気候と適度な降水量、木津川という母なる川や緑につつまれた丘陵地をもつなど、豊かな自然環境に恵まれたこの地には早くから文化が華開き、各時代において独自性をもって展開してきました。それを示すように、市内には、縄文時代の森山遺跡をはじめ、古墳や神社・寺院跡など貴重な遺跡や文化財が数多く点在しています。
鴻ノ巣山 特に古墳時代、奈良時代のものが多くあります。その中には全国的に注目を浴びる、芝ケ原12号古墳、郡役所跡である正道官衙(かんが)遺跡などがあり、早くから城陽は南山城地方の要衝の地として栄えたことが伺えます。 歴史のまど


平安時代には、木津川水運の中継地として官制の旅館にあたる宿駅が奈島に置かれ、都に近い荘園地帯としても発展しました。鎌倉時代にはこれといった動きはありませんが、室町時代になると山城国一揆を経て住民自らが国を治める輝かしい自治の歴史を築き、木津川水運に加えて発達をとげた陸上交通における街道の中継地としてにぎわいました。江戸時代に入ると村の自治をますます進めながら、稲作だけでなく多種類の農作物を栽培する豊かな農村地帯として発展するとともに、京都から五里、奈良から五里と、ちょうど中間に位置する宿場町・長池のあたりは往来する人馬で活気にあふれ、その後も、明治、大正を通じ、たいへん繁栄しました。

明治に入り、特筆すべきは1889年(明治22年)、11カ村が久津川、寺田、富野荘、青谷の4か村に統合され、現在の城陽を形成する基盤となる村が誕生したことです。また、明治から大正にかけての近代城陽の特徴は、教育熱心で全国的にみても就学率が非常に高かったこと、都市近郊農村として商品農作物の栽培が盛んだったことです。今も城陽の特産物として栽培が盛んなウメや寺田イモは、この頃からすでに有名でした。また、全国生産高の60%を占める金銀糸もやはりこの頃からの特産品です。昭和に入って、戦争、終戦、農地改革という劇的な変動の中でも、緑豊かな農村として生き続け、1960年代(昭和30年代)後半から開発が進み、京都・大阪のベッドタウンとして人口も急増し、1972年(昭和47年)5月3日に市制を施行しました。


城陽の歴史は前述のように4000年の歴史があり、この地でくらし、この地を発展させてきた先人の足跡がいろいろな形で残っています。それらは貴重な市全体の大きな財産です。城陽市では、素晴らしいこれらの「歴史・文化・伝統」、それらを育んできた「豊かな自然環境」を大切にし、次代へ継承していけるようなまちづくりを進めてきました。そして、21世紀を目前にした今、さまざまな歴史遺産と近代的な都市機能が共存できるまちづくりに向け、積極的取り組んでいます。
鴻ノ巣山



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